大正11年(1922) | 11月18日 | 日立製作所笠戸工場で生産 |
12月25日 | 浦上機関区 | |
大正14年(1925) | 12月25日 | 名古屋鉄道管理局へ貸し出し |
大正15年(1926) | 2月3日 | 若松機関区 |
8月30日 | 吉松機関区 | |
昭和7年(1932) | 11月28日 | 鹿児島機関区 |
昭和10年(1935) | 2月12日 | 出水機関区 |
10月15日 | 宮崎機関区 | |
昭和14年(1939) | 11月19日 | 豊後森機関区 |
昭和18年(1943) | 3月1日 | 鳥栖機関区 |
昭和21年(1946) | 1月20日 | 吉塚機関区 |
昭和24年(1949) | 6月21日 | 西唐津機関区 |
昭和36年(1961) | 4月20日 | 長崎本線の佐賀から、唐津線の唐津まで お召し列車を牽引 |
4月21日 | 唐津線の唐津から、久保田まで お召し列車を牽引 |
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昭和39年(1964) | 6月4日 | 若松機関区 |
昭和43年(1968) | 6月1日 | 人吉機関区 湯前線や人吉駅構内の入れ換えに使用 (当時門デフは69600から譲り受けた 大きめの物を使用している) |
昭和50年(1975) | 3月9日 | 休車 |
3月31日 | 用途廃止−人吉市に貸与 矢岳の展示館に静態保存される その間の走行キロは334万キロ。 地球約84周回ったことになります 以後13年間、矢岳名誉駅長・得田氏が 毎日手入れを続けた。 |
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昭和62年(1987) | 7月4日 | 北九州市長・末吉興一氏とJR九州社長石井幸孝氏との 間で、門司港開港百年・九州鉄道開業百年(1989)の 記念イベントで、蒸機復活の約束が交わされる |
7月20日 | 運輸部を中心として18人のプロジェクトチーム発足。 機関車の選定が始まる。 ↓ そして、58654の復元が決定 |
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8月1日 | 人吉市に返還要請。 | |
12月11日 | 返還了承。 条件として、人吉市に里帰り運転を約束することで 合意した。 |
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昭和63年(1988) | 1月9日〜10日 | 矢岳から小倉工場へ、陸路で搬入 |
1月12日 | 起工式を挙行 | |
6月28日 | 法的手続きである、車両確認が完了 | |
6月30日 | 第3回試焚きで初めて自力での小移動に成功 | |
7月2日 | 火入れ式 | |
7月12日 | 構内試運転 | |
7月13日 | 「SLあそBOY」の名称が決定 公募により、福岡在住の方が考えた名が決まる。 (熊本弁の「あそぼい」をもじったのが由来?) |
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7月21日 | 小倉工場出発 | |
7月22日 | 熊本運転所到着後、回着整備 | |
7月26日 | 熊本−宮地で、単機試運転 | |
7月27日 | 熊本−人吉−吉松で、単機試運転 | |
7月28日〜8月15日 | 12系・14系客車を使って熊本-宮地・熊本-人吉-吉松での 訓練運転 (8/8.8/12 性能確認試験) |
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8月20日 | 鹿児島車両所で、ウェスタン風に改造された 50系客車が、熊本に着く |
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8月21日 | 熊本駅にて客車展示 | |
8月22日 | 熊本-人吉でお披露目運転 (テンダー後部にメモリアルプレートを付ける) |
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8月23日 | 人吉-吉松でお披露目運転。 矢岳にて、保存されているD51170号機に、 蒸気パイプを結んで、汽笛の交換が実施された。 |
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8月25.26日 | 熊本-宮地で試乗会 | |
8月27日 | 博多駅で展示会 | |
8月28日 | 熊本デスティネーションキャンペーン 「超魅力くまもと」の開始に先立って、 正式営業運転開始。 熊本駅にて出発式が催され、発車した |
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(当時の貴重なドキュメント番組より) |
(参考資料)
鉄道ファン2005年10月号 交友社
ありがとうSLあそBOY JR九州
蒸気機関車全史 1 学研